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最高裁判所第一小法廷 平成4年(行ツ)120号 判決

上告人

旧商号ネッスル株式会社

ネスレ日本株式会社

右代表者代表取締役

ハンス ユルゲン クレット

上告人

日高乳業株式会社

右代表者清算人

湯浅恭三

右両名訴訟代理人弁護士

中筋一朗

益田哲生

中町誠

被上告人

北海道地方労働委員会

右代表者会長

山畠正男

右指定代理人

中島一郎

外四名

右補助参加人

ネッスル日本労働組合

右代表者執行委員長

笹木泰興

右補助参加人

ネッスル日本労働組合日高支部

右代表者執行委員長

秋田静夫

右両名訴訟代理人弁護士

古川景一

市川守弘

伊藤博史

杉山繁二郎

佐藤久

阿部浩基

岡村親宜

藤原精吾

野田底吾

宗藤泰而

筧宗憲

主文

原判決のうち、被上告人が昭和五八年道委不第一号、第二号及び昭和五九年道委不第五号不当労働行為救済申立事件につき昭和六二年二月二七日付けでした命令の主文第二項後段に関する部分を破棄し、第一審判決主文第一項のうち右部分を取り消す。

上告人日高乳業株式会社の本件訴えのうち、被上告人のした右命令の主文第二項後段の取消しを求める訴えを却下する。

上告人らのその余の上告をいずれも棄却する。

訴訟の総費用及び被上告補助参加人ネッスル日本労働組合の参加によって生じた訴訟の総費用は上告人らの負担とし、被上告補助参加人ネッスル日本労働組合日高支部の参加によって生じた訴訟の総費用は同支部の負担とする。

理由

上告代理人中筋一朗、同益田哲生、同中町誠の上告理由第四点及び第五点について

一  原審の適法に確定した事実関係によれば、ネッスル日本労働組合日高支部(以下「日高支部」という。)は、昭和五八年に被上告人労働委員会から労働組合法に適合する旨の証明を受け、法人登記をして法人格を取得したものであるところ、昭和六二年三月六日ころ最後に残っていた三名の組合員が脱退をした結果、組合員が一人もいなくなっただけではなく、同年四月には上告人日高乳業株式会社(以下「上告人日高乳業」という。)が日高工場の営業施設を第三者に譲渡したことにより、日高工場において被上告補助参加人ネッスル日本労働組合の組合員が労務に従事する可能性が当面失われたため、自然消滅したというべきであるが、その清算が結了したとは認められないというのである。

原審は、右事実関係の下において、本件救済命令主文第二項のうち、日高支部に所属する組合員の給与から昭和五六年六月以降昭和五九年六月までの間に控除した組合費相当額及びこれに対する控除した日から支払済みに至るまでの年五パーセントの割合による金員を日高支部に支払わなければならないと命じた部分は、日高支部が清算の目的の範囲内において存続している以上、なお有効性を失わないと判断し、その取消しを求める訴えが適法であるとの前提に立って、右部分に係る上告人日高乳業の請求を棄却した第一審判決を是認した。

二  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は次のとおりである。

救済命令で使用者に対し労働組合への金員の支払が命ぜられた場合において、その支払を受けるべき労働組合が自然消滅するなどして労働組合としての活動をする団体としては存続しないこととなったときは、使用者に対する右救済命令の拘束力は失われたものというべきであり、このことは、右労働組合の法人格が清算法人として存続していても同様である。けだし、使用者に対し労働組合への金員の支払を命ずる救済命令は、その支払をさせることにより、不当労働行為によって生じた侵害状態を是正し、不当労働行為がなかったと同様の状態を回復しようとするものであるところ、その労働組合が組合活動をする団体としては存続しなくなっている以上、清算法人として存続している労働組合に対し、使用者にその支払を履行させても、もはや侵害状態が是正される余地はなく、その履行は救済の手段方法としての意味を失ったというべきであるし、また、これを救済命令の履行の相手方の存否という観点からみても、右のような救済命令は、使用者に国に対する公法上の義務を負担させるものであって、これに対応した使用者に対する請求権を労働組合に取得させるものではないのであるから、右支払を受けることが清算の目的の範囲に属するということはできず、組合活動をする団体ではなくなった清算法人である労働組合は、もはやこれを受ける適格を失っているといわなければならないからである。

これを本件についてみると、組合員が一人もいなくなったことなどにより日高支部が自然消滅したことは、原審の適法に確定するところであるから、上告人日高乳業に対し控除組合費相当額等の日高支部への支払を命じた本件救済命令の前記部分は、既にその拘束力が失われているものというべきである。そうすると、上告人日高乳業がその取消しを求める法律上の利益は失われたというべきであって、右部分の取消しを求める訴えは却下すべきこととなる。

以上によれば、原審の前記判断は、法令の解釈適用を誤ったものであり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかであるから、上告理由第四点の論旨は理由がある。したがって、原判決は、右の部分につき破棄を免れず、同第五点について判断するまでもなく、上告人日高乳業の請求を棄却した第一審判決を取り消し、この部分に係る訴えを却下すべきである。

同第六点について

本件救済命令の主文第四項は、上告人らに対し、「陳謝文」の表題の下に、団体交渉拒否、組合費控除及びその返還拒否並びに支配介入の言動の具体的事実と「これらはいずれも北海道地方労働委員会によって、不当労働行為であると認定されました。ここに深く陳謝致しますとともに、今後このような行為を繰り返さないことを誓います。」との旨の文言を白色木板に墨書して掲示することを命じているところ、右命令は、被上告人によって上告人らの行為が不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させ、同種行為の再発を抑制しようとする趣旨のものであるとみられる。掲示を命じられた文書中の表現には所論も指摘するとおり措辞適切を欠く点があるといわざるを得ないが、右命令は、全体として、その摘示に係る上告人らの行為が不当労働行為に該当すると認定されたこと及び将来上告人らにおいて同種行為を繰り返さない旨を表示させる趣旨に出たものとみるべきである(最高裁昭和六三年(行ツ)第一〇二号平成二年三月六日第三小法廷判決・裁判集民事一五九号二二九頁、最高裁昭和六三年(行ツ)第一四〇号平成三年二月二二日第二小法廷判決・裁判集民事一六二号一二三頁参照)。そうすると、右命令が、上告人らに対し、特定の思想、見解を受容することを強制するものであるとか、陳謝の意思表明を強制するものであるとの見解を前提とする憲法一九条、二一条違反の主張は、その前提を欠くというべきである。また、原審の適法に確定した事実関係の下においては、上告人らに対し、連名の文書を上告人ネスレ日本株式会社の正面玄関の見やすい場所に掲示することを命じた点を含め、右命令が労働委員会の裁量権の範囲を超えるものとはいえず、右命令部分を適法とした原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同第一点ないし第三点及び第七点について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、原審の専権に属する事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九四条、八九条、九二条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官三好達 裁判官大堀誠一 裁判官小野幹雄 裁判官高橋久子)

上告代理人中筋一朗、同益田哲生、同中町誠の上告理由

第一点ないし第三点〈省略〉

第四点

原判決は、本件救済命令主文第二項について、前労組日高支部が自然消滅したことを肯定しつつも有効に存続すると判断するが、右の判断は法令の解釈とその適用に誤りがあり、その違法が原判決の結論に影響することは明らかである。

一 原判決は、本件のように構成員が一人もいなくなり自然消滅した場合も、清算が結了するまでは、その清算の目的の範囲内において存続すると判示する(原判決が引用する第一審判決二三丁表)。

しかし、労働組合が組合としての存立要件である人的構成要素を欠缺するに至った場合は、解散、清算手続を要せず労働組合は消滅したと解すべきである(労働省労政局労働法規課編著「三訂新版労働組合法労働関係調整法」五一一頁、熊本地判昭和二九年二月二三日労民集五巻一号、岡山地判昭和三九年七月七日労民集一五巻四号)から、原判決はその点で既に法令の解釈と適用を誤っている。

二 更に、甲第二号証の二によれば、昭和六二年三月六日付で前労組日高支部の最後の支部執行委員長名で被上告人委員会宛に本件申立事件の取下書が提出されており、更には、同月三月二〇日付で日高乳業株式会社日高工場長宛に旧日高支部の最後の構成員全員の連名による支部の解散通知(甲第三号証)が提出されている事実が存する。

以上の事実に照らせば、前労組日高支部が、本件救済命令によって、公法上の義務の履行に関し何らかの反射的利益又はこれに類する地位若しくは権利を有していたとしても、右取下を含む一連の行為によって、これらを放棄したと解しうるのであって(取下自体が仮に原判決のいう通り効力を生じないとしても、少なくとも同取下書をもって救済を求める意思を放棄したことは明らかである)、結局現時点で主文第二項は履行に故なきものに帰したというべきである。従って、以上を看過する原判決はその点において法令の解釈とその適用を誤っていることは明らかである。

第五点

本件救済命令主文第2項を是認した原判決の判断は労働委員会の裁量権に関する法令の解釈とその適用を誤った違法があり、その違法が原判決の結論に影響することは明らかである。

一 上告人日高乳業が行ったチェックオフにつき不当労働行為を構成する部分が仮に存したとしても、同上告人が行った行為は(原判決の認定によっても)一定期間、前労組日高支部所属の組合員三一名の者の給与から組合費を控除し、かつその返還要求に応じなかったというにあるのだから、その原状回復とは、当該組合員に対し控除分を還付すること(返還要求に応じること)に他ならない。

しかるに、本件命令は控除した組合費相当額を年五分の金員を付して「申立人ネッスル日本労働組合日高支部」に支払えとするものであるが、これは明らかに同支部と明文のチェックオフ協定も存在しないのにチェックオフ協定の履行を実現させる命令に他ならず、原状回復の趣旨を逸脱し、さらに労働基準法第二四条の禁を犯す点においてその違法は明らかである。

二 更に、第一審一三回秋田静夫証言二二丁によれば、前労組日高支部は、その所属組合員から控除された組合費については、すでに当該組合費を徴収済であることを「二重払い」と称して認めている。従って、上告人日高乳業の組合費控除による損失は右日高支部にはないのである。

従って、仮に本命令の履行が実現されるとすれば、前労組日高支部は逆に二重に利得することになり、その点でも原状回復の趣旨を逸脱し、違法たることを免れない。

三 本件命令主文第2項において上告人日高乳業株式会社に対し、所定の組合費相当額に年五分相当額の加算額を付して支部に支払えと命ずる趣旨は、端的に見れば損害賠償相当額を上告人日高乳業に命じたと解する他はない部分である(現に私法上の根拠に基づく本件と同様の裁判例は存する。大阪地判平成元年一〇月一九日労判五五一号、広島高判昭和六三年六月二八日労判五二九号)。

そもそも、救済命令制度は、不当労働行為の事実上の救済を行なうものであり、金銭による損害賠償を命ずるというような私法上の救済を行うことは、労働委員会の権限に属しないことは明らかである(塚本重頼著「労働委員会」一五九頁参照)。

従来、労働委員会も右の立場にたち、不当労働行為に伴う精神的損害、慰謝料の支払い(松岡炭鉱事件・長崎地労委昭和二六年四月三日)、弁護士費用(大阪放送事件・大阪地労委昭和五三年七月八日、五十川タクシー事件・福岡地労委昭和五三年四月二七日)、証人の出張扱いの差別(日本計算器事件・京都地労委昭和四五年五月二六日)、使用者の暴行による治療費の請求(長浜赤十字病院事件・滋賀地労委昭和四九年三月二二日)、救済申立費用(日本計算器事件・京都地労委昭和四四年一一月一日)等について「かかる請求は不当労働行為になじまない」「現行法上もこれを認容する根拠がない」「労働委員会の裁量を超える」等の理由により正当にもその申立を悉く排斥してきた。

そして、本件と同様の利息相当分の支払の申立に関しても、相馬外科病院事件・京都地労委昭和四三年九月二一日は「不当労働行為救済の範囲を超えるものであるから認容することはできない」とし、更に名古屋放送事件・愛知地労委昭和五一年八月一四日もこれを同様の理由で排斥しているのである。

しかるに、被上告委員会は、本項の五分付加部分の申立分を含め本申立が実質的には私法上の損害賠償を求めるものに他ならなかったにも拘らず、その申立が労働委員会制度になじまず、さらに同委員会の裁量を超えたものであることを全く看過し、これを維持しているから、その違法性は明白であり、これを看過した原判決はこの点において労働委員会の裁量権に関する法令の解釈適用に誤りがあり、右違法は原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

第六点

原判決は本件命令主文第4項(ポストノーティス条項)の効力を是認するが、右判断は明らかに憲法一九条、同二一条及び労働委員会の裁量権に関する法令の解釈適用を誤る違法が存する。

一 いわゆる「自認型」の違憲性

本件命令主文第四項陳謝文中、三段目において「当社は、貴組合を嫌悪し、その弱体化を意図して、当社日高支部工場の管理職や係長らの職制を利用し、貴組合の本部役員をひぼうしたり、貴支部の組合活動に支配介入する言動をしました」との部分は明らかに、上告人らが支配介入を行ったことの自認の表明を強制するものである(いわゆる「自認型」)。

上告人らは、本件の対応において右のようなそしりを受ける行為はいっさい存しなかったと確信するものであり、このような確信を否定し本件において支配介入の行為があったとする評価を自らの見解として自認表明を強制されるいわれはない。

法治国家である以上、裁判所の確定判決やこれによって支持された労働委員会の命令に服さなければならないことは当然である。従って、主文の命ずる趣旨に従って、例えば解雇事件であれば、あるいはバックペイや原職復帰の履行を使用者が内心これに服すると否とを問わず強制されることは当然である。

しかし、右の意味において使用者が労働委員会(及びこれを支持した裁判所)の判断に従わねばならぬことと、使用者自身が労働委員会と同意見である(支配介入をした事実がある)ということを社会的に自認・表示するよう強制されることは全く別個の問題である。

これは、要するに、上告人らに対し、右のような事実は全くなく会社の対応が正当であるとの自らの確信・思想を否定し、対立する国家(労働委員会)の思想・見解の受容を強制するもので、特定の思想の強制として、憲法第一九条に違反することは明らかである(この点につき、論じた文献として、安藤高行「良心の自由とポストノーティス(下)」中央労働時報七四一号、二三〜二四頁参照。なお、特定の思想の強制の違憲性については、例えば宮沢俊義「憲法Ⅱ(新版)」三四〇〜三四一頁参照)。

原判決は、本条項について、最高裁判決平成二年三月六日判例時報一三五七号一四四頁の例にならって判断したことがその判文中からうかがえる。しかし、同判決で肯定されたポストノーティスは、典型的な労働委員会認定型の文言であり、しかも判決中に、ポストノーティス命令の目的については「労働委員会によって、上告人の行為が不当労働行為と認定されたことを関係者に周知徹底させ、同種行為の再発を抑制しようとする趣旨」として、明らかに労働委員会認定型のみを許容する説示をなしているのである。従って、本命令にように、「自認型」を含む場合は、右判旨に照らせば、その部分について明らかにポストノーティス命令の趣旨に反し、労働委員会の裁量権を逸脱することも明らかである。

二 いわゆる「陳謝型」の違憲性

(一) 原判決は、「陳謝文」と題する文書の掲示を命ずるポストノーティス条項において「ここに深く陳謝致しますとともに、今後このような行為を繰り返さないことを誓います」の各傍線部分が、同種行為を繰り返さない旨の約束文言を強調する意味を有するにすぎない旨判示する(原判決の引用する第一審判決二九丁表)。

右の解釈は、憲法判断回避の為に一種の合憲限定解釈の手法に拠ったと推測される。

しかし、当然のことながら、合憲限定解釈は、解釈である以上、そのような意味に解釈することが文言上可能な範囲にとどまるべきであって、これを超えれば、いわば救済命令の「書き直し」であり、該命令を発した労働委員会の権限の簒奪といわねばならないのである(以上につき講座「憲法訴訟」三巻高橋和之「憲法判断回避の準則」二四頁参照)。

しかるに、前掲の「陳謝文」という表題まで付いた本件文言を原判決のように読みかえることは文理上到底不可能である。就中「陳謝致しますとともに」のとともには日本語としては「と同時に」という並列的な意を表すことは小学生でも理解できることである(ちなみに大辞林一七四三頁参照)。これを原判決のように後段の修飾文言として理解するなどということは、一般の常識人の理解の範疇を超えるものである。

当然のことながらこのような非常識極まる解釈については、「詭弁的」「強引さ」(奥山明良「最近の労働判例について(中)」中央労働時報八二八号五頁)「何故…そのように読みかえるのか疑問」(幸地成憲ジュリスト九八〇号一九〇頁)「初審命令を素直に読めばやはり、過去の行為についての陳謝と、将来の不作為についての誓約という…二つの相異る行為が要求されているのであって、両者を一体化させて、前者を後者のなかに解消させてしまうことにはやはりいささかの無理がある」(安藤高行中央労働時報八〇三号一三頁)「憲法論の立場からいえば、「反省」や「陳謝」の表題をそのように解しうるかはやはり問題」(道幸哲也民商法雑誌一〇三巻二号一三六頁)と学説から悉く批判されている。

(二) 以上の通り本件命令第4項を原判決のように「解釈」として読みかえることは不可能であり、同項は明らかに上告人に対して、「陳謝」の意思表明を求めるものである。

成程法治国家である以上、裁判所の確定判決やこれによって支持された労働委員会の命令に服さなければならないことは当然である。

しかし、使用者が労働委員会(及びこれを支持した裁判所)の判断に従わねばならぬことと、使用者自身が労働委員会と同意見である(支配介入をした)ということを社会的に自認・表示し、かつ反省・陳謝するよう強制されることは全く別個の問題であり、これは特定の思想の強制として憲法第一九条に違反することは既に述べた通りである。

(三) 右「陳謝」文言ついては、「労働委員会によって、組合に対する支配介入を図ったものとして不当労働行為と認定された上告人らの行為を陳謝する旨機械的に表明することを命じている趣旨であるとみるべきであり、使用者が内心において、不当労働行為であると自認し反省・陳謝することを強制する趣旨ではない。」旨解する見解がある。

しかし、その根拠とするところは全くの暴論であり、およそ「沈黙の自由」の趣旨が理解されていない。

右論によれば、かつて、キリスト教弾圧の具として用いられた「踏絵」についてさえも、『信者本人にキリスト教棄教の意思がなくとも、単に機械的・物理的に踏むことを命じているだけの趣旨であり、内心において棄教することを強制する趣旨ではない』と解して思想・信仰の自由を侵したことにならないことになろう。

さらにまた、戦前、国家が社会主義者・共産主義者に強要した「転向声明」についても、『本人に該主義を変更する意思がなくとも、単に転向の趣旨の文言を機械的に発表することを命じているだけの趣旨であって、内心において思想の変更を強制する趣旨ではない』として是認しうることになる。

憲法一九条で保障する思想・良心の自由が、いわゆる「沈黙の自由」を含むことは、もはや定説ともいうべきなのであって、それは「思想および良心の発表を強制することそれ自体は、直ちに思想および良心の自由に対する侵害とはいえないかもしれないが、そうした侵害に役立つ場合が多いから、そうした侵害を確実に防ぐためには、思想および良心の自由のコロラリーとして、沈黙の自由が認められることが必要」(宮沢俊義「憲法Ⅱ(新版)」三三九頁)だからなのである。

そして、『沈黙の自由』は、良心の事柄を内に留める自由であるから、外的表白による社会的影響を予定する『表現の自由』(二一条)等に比べて、はるかに消極的・受動的・防衛的であり、それだけ絶対的に侵されてはならない「精神的自由の最低限」(深瀬忠一「マスコミ判例百選」[第二版]一四一頁)であることが忘れられてはならない。

前記論が以上についての憲法一九条の理解に欠けることは明白と言わねばならない。

三 本命令は憲法第二一条に反する。

憲法第二一条で保障する表現の自由は、表現する自由(積極的作用)のみならず表現しない自由(消極的作用)を包含すると解される。この事は、集会・結社の自由や信教の自由について一般に承認されているように立憲民主制憲法下における自由権の保障は積極・消極の両作用を表裏の関係において包含すると解されることから、当然に導かれる。

従って、公権力により表現を強制されない自由(いわゆる沈黙の自由)は憲法第一九条とともに憲法二一条の保障内容をなすと解すべきは当然である(以上につき佐藤幸治「芦部編憲法Ⅱ」四五五〜四五六頁、樋口陽一ほか「注釈日本国憲法上巻」四六〇頁)。

しかるに、本件命令主文第4項は、上告人らの「沈黙の自由」を侵し、その意に反する陳謝を伴う表明を罰則を以って強制するものであって、憲法第一九条とともに憲法第二一条違反であることは明白である。

四 本項が履行不能な行為を命じた点の違法性(上告人日高乳業部分)

原判決によれば、本件命令主文四項中、上告人日高乳業に対して、補助参加人ネッスル労組を掲示の名宛人として、掲示場所をネッスル日本の正面玄関の見やすい場所として「陳謝文」の掲示を命じた部分は有効であるという。

しかし、上告人ネッスルと上告人日高乳業が法人格が全く異なっていることは原判決も認定する通りである。

しかして、本件命令がこのように法人格の全く異なる第三者たるネッスル日本の所有占有する同社の正面玄関の見やすい場所への掲示を命じたとしても、第三者たるネッスル日本の意に反するこのような命令は日高乳業のみにおいて履行することは不可能といわざるを得ず、第三者たる上告人ネッスル日本が上告人日高乳業部分のポストノーティスまでも受忍すべきいわれも存しないから、この点において本命令が被上告委員会の裁量権を逸脱した違法な命令であることは明白である。

明らかに事実と異なる内容の掲示を強制される点の違法性(上告人ネッスル日本部分)

本命令第四項は明らかに事実に反する事項について陳謝文の掲示を強制するものであって、その点においても、違法により取消を免れない。

まず、陳謝文の冒頭部分は「当社は昭和五八年九月一六日付けで、貴組合日高支部から申入れがありました…団体交渉に対し、…との理由で、これを拒否しました。」となっている。

これをそのまま上告人ネッスル日本が掲示をすれば、「当社」はネッスル日本株式会社としか解しようがない(当然のこととして掲示を見た第三者は「当社」は「ネッスル日本株式会社」と理解するであろう)。

しかし、ここでいう「当社」たるネッスル日本株式会社は、既述の通りそもそも団交拒否はおろか右団交の申入を受けた事実さえないのである。この点は、当事者間で全く争いのない事実であり(因みに乙第三五号証団交申入書の名宛人は日高乳業株式会社のみである)、それが証左に組合自ら団交応諾の請求は日高乳業株式会社に対してのみ求めており(昭和五九年道委(不)第五号申立書乙第三二〇号証)本件命令理由中にも、その旨の認定判断が行われ(本件命令五五頁)救済命令主文第一項のいわゆる団交応諾命令の名宛人も日高乳業のみとなっているのである。

また陳謝文中第二段目も「当社」が、「…組合費を控除し、その申入れを拒否しました。」となっているが、当該組合費を控除したのも、その返還を求める申入れを拒否したのも、「当社」たるネッスル日本ではなく、上告人日高乳業なのである。

この点の事実も当事者間で争いはなく、本命令主文第二項もチェックオフ金の返還について日高乳業に対してのみこれを命じているのである。

以上の通り、本件命令主文4項は、他の主文の名宛人と比較しても論理一貫性を欠き、上告人ネッスル日本に対し明らかに事実でないことを事実と表明させるという重大な違法を犯していることは明白であって、その点において到底取消を免れない。

第七点

原判決は日高工場の管理職の言動について支配介入を肯定するが、右判断は経験則に違背し、不当労働行為救済申立手続の申立適格に関する法令の解釈とその適用に誤りがあり、右各違法は原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。

一 即ち、原判決認定の言動は認定事実に従う限り、原判決のいう「元ネッスル労組」が唯一存在していた時期に「元ネッスル労組」の内部運営(原判決の認定によればスト権投票、一七回大会等)に関して向けられた言動と言うほかない。

このような言動に対し、労組法第七条三号の支配介入を構成するものが仮に存したとしても、これらを支配介入として救済申立をなすことができるのは、当該言動を受けた当時唯一の組合たる「元ネッスル労組」(若しくはその正当な承継組合)に限られることは多言を要さない(山口浩一郎「労働組合法」有斐閣一〇二頁)。

しかるに、本件救済申立は、右各言動の時期より後に生まれた被上告人補助参加人ネッスル労組によって行われたというのであり(この点の判断の違法性は、第一点参照)もとより被上告人補助参加人ネッスル労組が「元ネッスル労組」の正当な承継者であるとまでは本命令及び原判決も認めないのであるから(本命令五三頁)、右各言動に関しては、そもそも申立適格を欠くのである。従って、右を看過する本件命令及びこれを維持した原判決はその点において取り消しを免れない。

二 さらに、労組法第七条三号については個人申立も肯定され、かつ昭和五八年道委(不)第一号事件は、斎藤勝一の個人申立としての効力を維持しうるから(無効行為の転換)本件命令に所論の違法はないとの反論がありえよう。

しかし、右個人申立肯定説には有力な反対説もある(山口浩一郎前掲書)他、肯定説にたっても申立人が命令時まで当該組合員(本件でいえば「元ネッスル労組員」)であることが当然の必要要件となる(学説としては安枝英訷「不当労働行為の申立人」「現代の生存権」五三三頁、高嶋久則ほか「不当労働行為審査手続」五九頁、同旨の命令としては、鹿児島地労委命令昭和三二年一〇月一二日、兵庫地労委命令昭和四八年二月二七日、大分地労委命令昭和五〇年三月二二日、岡山地労委命令昭和五六年八月二〇日)。

しかして、本件では、原判決は斎藤勝一らのグループが、その後本件命令発令以前の日に独立した別組合を結成したと認定しており、いずれも「元ネッスル労組」を脱退したことが当然の前提となっている。

従って、法七条三号事件について個人申立を肯定する見解にたっても、原判決の認定による限り、前記申立部分の申立適格の欠如は明白なのである。

三 また、認定の言動の当時は、「元ネッスル労組」内部の多数派をめざしての組合内の運動のみが存しており新組合の結成準備行為など客観的に存在せず、各認定の言動の中にも、新組合の結成を認識して結成を妨害しようとする内容のものは皆無なのである。従って、右言動を新組合結成妨害と評価して、補助参加人ネッスル労組の申立適格を認めようとする原判決の判断は、明らかに経験則に反し自らの認定事実さえも無視した強引極まる誤った判断である。

四 以上の通り本項に関して、原判決が経験則に反し、ひいては法令の解釈とその運用を誤ったことは明白であり、貴庁において破棄は免れない。

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